千英のひとりごと〜 Chie's words 〜
2004/12/28
凛として
凛として―― 寒さがきびしいこと。きりりと身のひきしまるさま。私はこの言葉が大好きです。静寂の中の緊張感、心が洗われるような・・そんな気がいたしませんか? 日本人にとって新たな年を迎える時、そのような気持ちを持つことができるのではないでしょうか。
どのような境遇・どのような場所・どのような形であっても、すべての人々が同じ気持ちを受け止めることができる、それはとても大切なことで必要なことであると思います。
私たち舞踊家はありがたいことに舞台に立たせていただくとき、凛と、いやそれ以上の気持ちを持たせていただくことができるのです。
来春の新樹会で大和樂「鐘」を舞わせていただくことになりました。舞踊に対する真摯な気持ちで舞初めさせていただきたいと思っております。お時間がございましたらご高覧賜りますようよろしくお願い申し上げます。
平成16年12月28日 千英
2004/11/13
自然の力
毎日の散歩道、毎日見る同じ風景。葉の色づきだけが昨日とは違う今日。いかがお過ごしでしょうか?今年は大規模な災害の多い年でした。私は「塩害」という言葉をはじめて聞きました。台風の塩分を含んだ風により、草木は枯れ木々までも落葉いたしました。力尽きたかのように見えたその木々たちはそのもてる力をふりしぼって新芽をだし、冬越えのための蓄えをはじめました。
自然の力は恐ろしく、そして素晴らしいですね。木々たちでさえも生きようとしているのに、人間は自らの命を絶つ唯一の動物であるといいます。自殺サイトなどが存在するということも恐ろしい話だと思います。一方、新潟の地震にともなうがけ崩れで数日間生き埋めになっていた子供が救出され、生命の輝きを感じました。なににしろ明るい事が一番だとそう思います。
私達は微力ながら明るく元気に過ごすお手伝いをしたいと、日々稽古し舞台をつとめます。明るい舞台から発するパワーが元気の源になると聞きました。このたび11月23日祝日に、姉弟子の志賀山千裕がリサイタルを開催させていただきます。お誘いあわせの上、おこしいただければ幸いです。
平成16年11月13日 千英
2004/10/6
ゆかた会
虫の音の美しく響くこの頃でございます。皆様いかがお過ごしでしょうか?先日家元宅の改装工事が終わり「ゆかた会」が催されました。
愛着のあった歩くときしきしときしむ床は取り壊され、新しいものになりました。たくさんの弟子たちが、雨の日も風の日もお稽古に訪れ、叱られたり笑ったり、努力して汗を流して練習に励んだ古いお稽古場です。おばあさんのお弟子さんがやってくると座る場所が決まっていて、若い弟子は譲り合い、その光景を古いお稽古場は温かく長い間見守っていました。そのうちに若い弟子達は子供を授かり、先日のゆかた会では新しくなった会場でいつのまにか一緒に遊ぶようになりました。すっかり変ってしまったように思うけれど、ずっとずっとつながっていくのですね。
お家元は、ジャンルを問わずこの新しくなった会場からどんどん文化や芸術を発信していきたい、そう考えておられます。
前日、大阪日日新聞の取材で、家元が「関西こんな人 あんな人」に掲載されました。「生原良幸の写真館」のホームページで見ることができます。
平成16年10月 6日 千英
氷柱をかじり遊ぶ子供達、初めての氷「パパ冷たいよぉー」
2004/8/8
花火
鈴虫の涼しげな声の待ち遠しいこの頃でございます。皆様いかがお過ごしでしょうか?今年は花火を見にいかれましたか?私はPL花火芸術と淀川の花火そして昨夜は神戸のメリケンパークの花火を見物しました。と言いましても、自宅からですが・・・。 あの音を聞くとしみじみと夏を感じます。どの花火も素晴らしかったですがやはりPL花火芸術は自宅から距離は遠いのですが、すごく迫力がありました。最後のスターマインは南の空を真っ赤におおいつくしました。どのぐらいの人が気が付いただろうなぁ。
今年の夏は本当に暑いみたいですね。お蔭様で私は6月16日に無事男の子を出産し約一月ほど自宅で育児に励んでおりました。やっと先日からお稽古に復帰し、8月29日のゆかた会で舞わせていただきます。とっても久しぶりの気がします。よろしければお出かけくださいませ。
平成16年 8月 8日 千英
2004/6/27
ふらっと旅気分
この季節、古都奈良や京都を訪れて小旅行気分を味わう、そんな方はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。先日母と二人、舞の研究と参考にと京都島原を訪れました。舞の中にはよく「松の位の太夫」という名称が登場します。「松の位の太夫」とは、秦の始皇帝が御幸の途次、雨にあい松の木の下で雨宿りをした際その松に五太夫の爵を与えたことから、太夫を「松の位」という故事からきているそうです。今お稽古して頂いている、常磐津磐の老松」の歌詞に唄われています。そして、「太夫」は京都が始まりでありました。もちろん島原にも「松の位の太夫」が活躍しておりました。あの歌舞伎で有名な、夕霧・伊左衛門の夕霧太夫も大坂へ移る前、元は島原の太夫でした。今でも輪違屋という置屋(太夫や芸妓を派遣する店・現在は御茶屋業として営業中)には、太夫がいらっしゃるとか。
ところで皆様は島原の名前の由来をご存知でしょうか。島原は歴史上二度移動し、現在の場所にいたりましたが、二度目の時は女人歌舞伎禁制の余波からの移転命令であまりにも急であったため、住人の狼狽がひどく、その様子が当時の九州島原の乱に似ていたことから、「島原」という通称で呼ばれ、正式名称の「西新屋敷」よりも有名になりました。
私達は、揚屋建築唯一(揚屋とは今の料亭にあたる店)の遺構として国の重要文化財に指定されている角屋へ特別拝観へ伺いました。なるほど、当時の突然の移転、営業の再開のあわただしさが目に浮かぶようでした。というのが、どのお部屋もそれはもう趣向を凝らせて素晴らしいものですが、部屋を継ぎ足し継ぎ足し増築されたとの事で、入り口の障子は二枚ですが、その奥は三枚などと色々な違いを探すとたくさん見つかり、係りの方の説明もあり、楽しいものでした。(要予約)
最後に、今話題の新撰組の芹沢鴨の暗殺前夜、仕組まれた宴会の開かれた「松の間」を拝見しました。庭の見事な臥龍松(現在は二代目)を愛でながら、後輩たちに勧められるまま酒を酌み千鳥足で家路についたのでしょうか。その夜何が起こるとも知らずに・・・。芝居と歴史と空想の世界に包まれて、私と母の小旅行はとても楽しいものでした。
平成16年 6月27日 千英
臥龍松
2004/5/9
旅
気まぐれ旅ときっちり旅、いろいろな旅があるけれど皆様はどのような旅がお好きですか?ふらりふらりと車を走らせて、景色の美しいところがあれば車をとめて日光浴とまんまるおにぎりをほおばって、鼻歌まじりにまた出発。「今日はこれからどうする?明日はどこに行く?」泊まるところもあるような、ないような?そこに素敵な出会いがあれば、幸せは120パーセント。今回の旅はそんなそして不思議な出会いのある旅でした。三泊四日で目一杯動き回り、走り回り、笑いまくりました。福井県の永平寺を訪れ、石川県のお墓参りに行き、心に残る美味しいものに出会い、次の日は北アルプスを経て美ヶ原、マイナスイオンたっぷりの霧が峰、エトセトラエトセトラ。すべては語りきれない今回の旅を写真を追って少しご案内します。
北アルプスの景色は雄大でした。透き通った雪解け水の流れる川原で昼食。
主人の本籍地の氏神様が諏訪神社で、私の実家の氏神様も諏訪神社・・ならば、どうせ近くまで来たのだから本家の諏訪大社にもお参りしようか?と言って車を走らせたところ、諏訪大社の半被姿の人がたくさんいらして、「諏訪大社にも熱心な信者さんが大勢いらっしゃるんだね」と感心していたところなんのなんの!7年に一度の御柱祭じゃないですか!そのとき御柱祭の事をなにも知らなかった私たちは、とりあえずお参りだけして大阪へ帰ろうと10時半に車をとめました。それにしてもなんと人の賑わっている事だろうと、諏訪大社に向けて歩き出し、その祭りの雄大さに引き込まれ町を練り歩くこと7時間!気が付けば前宮の御柱が立ち上がるまで見届けました。その日は大阪に帰る事ができず、また一泊。
一日が暮れればその街の温泉を訪ねて疲れを癒し、ねぐらを探し、なんともなんとも楽しい旅でした。
平成16年 5月 9日 千英
北アルプス